2022年1月の出来事



写真:寒そうにしていたシロチドリ。

今月もまずはTwitterでアップしてきた内容を追いながら、いろいろ書いていきたいと思います。
写真も見てみようと思った方はリンクでその日のTwitterに行けますのでご覧ください。

1日
今年も我が家の初詣は洲崎神社でした。
以前、この鳥居の下でイルカたちが当たり前のように泳いでいた時期がありました。
今考えるとウソみたいですが。
カヤックでイルカと会っている時にはいつもその向こうに洲崎神社の山がありました。
その頃以来、自分にとって洲崎神社はイルカの神様みたいな感じなのです。
ここから海を見ると、イルカがいそうな気がして、またイルカ来ないかなあ~と考えながら沖を眺めます。
当日のTwitter投稿

実際、そんな感じで沖を眺めていて発見したのが2011年の元旦でした。
この群れは1998年から2003年まで定着していたミナミハンドウイルカの群れとは別で、後の調査で同じ個体が含まれていませんでした。 この群れは翌年の2012年元旦に再び洲崎神社の下で再度観察する機会が得られた群れと同じと考えています。
2011年は東日本大震災以降の余震などいろいろと問題も多く、ツアーを休止していたりと海に出る機会が減っていた事で観察の機会が得られなかったのだと思います。
2012年2月のカヤック日記
2012年3月のカヤック日記
2012年には不定期に観察することができましたが、98-03年の群れのようには撮影が進まず個体識別ができないままでした。
12年の7月になって、やっと岸沿いをゆったりと泳ぐ同群に遭遇したことで背ビレによる個体識別ができました。
その後観察頻度が急に下がりましたが、群れの中の1個体が御蔵島のイルカ研究会「御蔵島イルカチーム(Mido)」により、御蔵島から去って行った「雷雲」と名付けられた個体であったこと、さらに南房総に来る前に伊豆大島で観察され、南房総を去った後には伊豆半島東岸で観察された個体であると分かりました。
これは個体識別の面白さが私の中で改めて膨らんだ出来事でした。
さらにこの個体は、なんと御蔵島に戻ったのでした。



これだけの広範囲な海域を自由に行き来しているという事が「まあイルカだからね、それくらいはね」と言えるかというと、やはりこうやって確実な記録をもとにして初めて言えるのですが、なかなか気長さが必要な自然相手の調査です。
この個体はイルカの調査が安定的に行われている御蔵島に戻ったことで、こういった記録が残りましたが、その他の海域で暮らしているであろう98年-03年群や10-12年の「雷雲」以外の個体がどうしているのかは、各地の海岸で暮らしているイルカ好きや生物好きが発見し記録を行うことで、これから先にはもっと面白い記録となる可能性が残されています。
私自身は南房総という海域に目を凝らして、過去に去ったイルカが戻って来ないか?新たな個体や群れがやって来ていないか?をいつも気にしています。
もし海岸でイルカを偶然見かけたときには出来るだけ写真を撮ってみてください。
特に背ビレの形は個体識別に重要です。
あとはジャンプする場面があれば全身の写真を撮れれば胴体のあざから個体識別が更に確実なものとなります。
海に行った時には「イルカがいるかもね」という気持ちで海を眺めてみてください。
98-03年にいたイルカの事については「ハンドウイルカ」 をご覧ください。
その他にも2003年以前のカヤック日記を見ていただくと、この群れのことを書いた記事がかなりあります。

6日
今朝の館山湾はアミが多数打ち上げ、ミリ単位の福徳岡ノ場様軽石も多数でした。
そんな中5㎝魚がいくつか見つかりました。
深海性のキュウリエソのようで1匹には寄生生物が見られました。
以前ハナゴンドウの死骸で見たのと同じペンネラという系統の生物のように見えました。
そして、この寒いのに海岸に虫も見られました。
海岸性のユスリカの仲間のようでした。
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写真:キュウリエソと思われる小魚と寄生生物。赤矢印が寄生生物の付着部、青矢印が尾部。魚の腹部には鮮やかな紫色の発光器が並んでいます。

10日
今日の海辺は意外と寒かったですが、シロチドリのツガイ、ツバメ、ハマボウフウにアブラムシ、ヨコバイなどなどが見られ春のような感じでした。
ツバメは外形と鳴き声からすると多分ヒメアマツバメという種類のようで関東で一部越冬しているというので気が早いわけでは無いようです。
しかし餌が足りるんですかね?
飛ぶのが早く、良い写真が撮れなかったので、次回には…。
当日のTwitter投稿

12日
今日はやっと今年初の海の上の虫探しに行けました。
残念ながらクモは見つからず、一方でアブラムシは数え切れないほどいました。
その他はいつものメンバーに新入りが一種。
まさにミニサイズのセミっていう感じの昆虫でした。
キジラミの仲間んぼようです。
海の上の虫調査は月3回は行きたいのですけど、風強い日が多すぎです。
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19日
21:40、館山市の南東140°方向、角度30°ほどに左下向きに落ちる、普通の流れ星としては大きく赤っぽい火球?が見えました。
写真は到底撮れませんでしたが、ご参考までにツイートしておきました。
当日のTwitter投稿

22日
日本ウミガメ協議会の昨年の報告まとめが届きました。
郵送の際に住所の記載ミス?だかがあったようで到着が遅くなっていましたが無事に届きました。
今回はとてもウミガメ上陸数数が少ないので私が報告している南房総は空欄だらけです。
今年は数が戻りますように!
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写真:あまりに数が多いので海面が彼らの主な生息場所なのではなかろうか???と思えてきてしまっているケブカカスミガメと思われる昆虫。もしかして越冬のしかたのひとつなのだろうか?

24日
何度見かけても撮影に失敗していて種が確認できていなかったツバメが群れで飛んできたので、沢山撮りましたがやはり飛ぶのが早くて… 。
でもなんとか種類を見分けられる写真が撮れてヒメアマツバメと確認できました。
南房総にも少数が広い範囲を利用しながら越冬しているという感じでしょうか?
ちょっと出た晴れ間に幻日も見えました。
当日のTwitter投稿

2-3羽のミサゴが仲良く飛んでいく時は大抵かわいらしい小鳥のような声で鳴いていて、知らなかったらあの高いところを飛んでいる大きな鳥の鳴き声だとは思わないで近くに小鳥を探してしまうかも。(撮影11日 )
先月分の個体識別を本日行ったところ、やや暫定的なものも含め2個体が過去の写真と一致しました。
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25日
館山湾の某海岸ではサルパだらけでした。
300mに20個以上はありました。
大抵は形が崩れフンニャリしてるのですが、1個だけ打ち揚げ直後で形がしっかりしてるのを見ることができました。
が、どうやら2種類いるのか?
よく分かりませんが見れば見るほど奇妙です。
当日のTwitter投稿

28日
今年2回目の海上の虫探しをしてきました。
そして今年もクモが見つかる季節になったようです! 午後だけで5個体採取とツイートしましたが、容器移し替えの際に確認したところ8個体でした。
当日後半にカメラの電池が足らなくなり、決まった撮影行程を省いたのがカウントミスの原因でした。
その他に羽化最中らしきユスリカ(?)、いつものカスミカメムシ、アブラムシ、などなど。
海面の方はもうすっかり春みたいに虫だらけでした。
こういう日には「海面は地上に比べ暖かい為に昆虫やクモが意図的に暖をとりに訪れている」という自信のない自身の説が正解なのでは?という感じがしてきます。
当日のTwitter投稿


写真:長さ8㎝ほどのサルパ。

というわけで、今年も海の上で虫やクモを探す活動を継続していくつもりです。
前の冬に「ここはいそうだな」と目星をつけた海域で、運良くすぐにクモや様々な昆虫が採取できたことは何よりラッキーでした。
おかげであっちこっちと探し回ることをせずに、まずは同じ狭い海域で採取を行うだけで安定的にサンプルが得られましたので、その他の適地を探すのは後回しにして、まずは採取種数を増やす事を目指しました。
1年を通して一か所のサンプルが得られましたので、今シーズンはその固定した海域に準じた環境にある場所に絞って、できるだけ多くの海岸で採取を試みたいと考えています。
どれくらいの頻度で調査が行えるか分かりませんが可能な限り、無理なく継続第一でやっていきたいと思います。 今までの観察地では得られなかった知見が得られると良いなと思っています。
もし、似たような環境でありながら、虫がいないというのであれば、それはそれで意味があるはずです。

地上の方は昨年1月31日にたまたま見つけたスナハマハエトリという小型の海浜性のハエトリグモについて調べてきました。
これについては今後も、例えばウミガメの産卵調査や、ミサゴの個体識別などのように継続して記録する対象とすることにしました。
同じエリアを見るなら出来るだけ多くの重要な対象を記録していきたいのです。
先日、2月に越冬から目覚めた個体を確認できましたので、まずは1年間季節を通しての観察ができましたので、南房総での記録として、なんらかの形で公表して残しておきたいと思っています。
そしてまだまだ分からない事だらけのスナハマハエトリが南房総でどんな暮らしをしているのか?そして環境の変化にどういった影響を受けているのかにも十分注意していきたいと思っています。
砂浜海岸にみられる生物の種類は多いとは言えませんので、その中の一種として想像以上に個体数が多く、広範囲に生息していることが分かりましたので、今まで知らずにいてその役割を無視して来てしまった分を今からでも少しずつ取り戻したいという気分であります。


写真:冬の青空を背景に飛ぶカワウ。

海の上の小さな生き物を発見し観察するのにシーカヤックほど適したものは無いと思います。
もちろん数十キロも沖合の海面を調査するにはシーカヤック単体ではリスクが高くなりますからカヤックを詰める船舶との組み合わせが必要だと思いますが、沿岸での調査であれば様々な用途で大変重宝するはずです。
シーカヤックに乗っていると自分の足のような自由な動きやクルマへの積み下ろしの手軽さ、メンテナンスの少なさ、価格に対する耐久性(使用可能年数)など、沿岸に絞って小さなものを調べるにはやはりシーカヤックかシットオンカヤックといった選択肢が最善と感じます。
シーカヤックはもともとハンティングの道具だという事はシーカヤッカーには常識と思いますが、もしかするとシットオンカヤッカーには知らない人もいるのかもしれません。
シットオンカヤッカーには一種のハンティングである釣りをしている人が多いのですから、その祖先である北極圏のハンターたちの事を知る事でスピリットの面でも誇りをもって楽しめるようになるかもしれません。
南房総でもこの10年ほどで釣りのシットオンカヤッカーの数が増えました。
同時にフィールドでは良くない影響も出てきていて、ツーリングが主体のシーカヤッカーも一般には同じ存在とされていますので、同じく扱われていて活動に問題が生じ始めています。
私自身30年ほど南房総でシーカヤックを漕いできて、これまで全く問題なく気楽に漕げていたエリアで問題が生じています。


写真:海面で採取したユスリカの仲間は羽化の最中でした。

この10年ほどで同業者も随分増えました。
それぞれが十分に注意してツアーやスクールを行っていると思いますが、やはり海岸の一角を占拠するような規模の大きなツアーは特に今の状況では難しいと思います。
シックスドーサルズでは開業時から一度のツアーでガイドを含めて4艇までと決めていました。
それは漁業者やその他のレジャーと同居していくうえでちょうど良いサイズだと考えたことに加え、生物を相手にしてガイドを行う場合に対象の生物が脅威を感じにくいサイズであると考えたからでした。
当初想定した「生物」は最初の方で触れたイルカの群れでした。
その後には鳥類やウミガメといったもの、上陸時の海浜植生の踏みしめなどにも関係する環境負荷配慮としてこのサイズを維持してきました。
このサイズは結果的に現在のコロナ対策にも有用となっています。

カヤックはこれからどうなっていくのかな?と考えた時に昨今の状況からいろいろと残念な未来も想像できます。
しかし、ひとりひとりがちゃんと地元の人と楽しく親しみと敬意を持って接していれば、それほど酷いことにはならずに済むかなという期待もあります。
私としてはツアー業を催行し続けることに問題が生じるという心配と共に、やっと始まった海面の虫を記録するという「カヤッカーにしかできない仕事」に支障が出ることを心配しています。
また昔から重要視している対象である鯨類が現れた場合などに、それらの問題が影響して観察にカヤックで出られない等のケースも想定できます。
ツアー以外は利益が得られない活動ですから、「仕事」ではないわけですが、一生継続していくつもりでいるある意味もっと重要な「仕事」ですので、今の状況がこれ以上進んでしまわないように、これからは問題のある場面を見かければ、その場で対応していきたいと考えています。


写真:この冬は妙に数が少なく感じているカモメ類ですが、風が強い日などにはまとまって見られました。

話が逸れてしまったのですが、シーカヤックはハンティングの道具であっただけあって海面で生き物を探すには究極の存在なわけです。
しかしシーカヤッキングを行っているシーカヤッカーは実は主に移動が目的でカヤックを漕いでいます。
これは現代のほとんどのアウトドアスポーツに共通するもので、登山に始まり、クライミング、トレイルランニング、スキー、自転車、サーフィン、スタンドアップ・パドルボード、そしてシーカヤッキング(一部、活動の場がアウトドアということで加えたものもあり)、といったものがどれも移動そのものが目的となっています。
そこに移動の目的は無いのですが、実際は移動している人の中に目的があって、爽快感、緊張感、達成感、充足感、心地よい疲労感、精神の鍛錬、肉体の能力向上などなど、どれも内側にあって外からは見えない大切な目的があります。
それらはとても大切なもので、生きていくうえで欠かせないものでもあります。

ただ、やはり様々な生き物を見ていると彼らは日々のほとんどをその日食べるものを探すという事に費やしています。
「生まれて、食べて、成長して繁殖して死ぬ」というのが彼らの一生で、しかしその中に我々と同じような心の中の活動が大なり小なりあるはずだというのは確かなのですが、それのために日々生きるということはありえないでしょう。
食べ物を探す時間を省いて飛行能力を探求する「カモメのジョナサン」は実在しないと思います。
そう考えた時にヒトだけが心の充足の為だけに移動を行っているという不自然を感じます。
しかしヒトには必要であるそういった活動を心の充足の為だけに繰り返すと「飽きる」という事が起きるのだと思います。
それで危険を求めてエスカレートしたり、すっかりそれをやめて新たな充足感を求めて彷徨うという事になってしまうのではないかと思ったのです。
だから、そういう感覚で海に出ていると、生活の為に漁を行っている人たちとは感覚が違いすぎてお互い理解しあえないし、人間同士でありながら相手の気持ちが分からずに迷惑と感じられる安易な行動が起きるのだろうという想像にも結び付きます。


写真:その昔フリーダムマシーンと言われたカヤックもマナーひとつでただのボートになってしまいます。

先日「リンネとその使徒たち」という本を読みました。
「18-19世紀にかけて世界の生物自然を探求すべく異国へと赴いていった一群のヨーロッパ人博物学者-探検博物学者(エクスプローラー・ナチュラリスト)-の活躍と功績」についての本でした。
その時代には自然を知るというためだけに命を懸けて他所の土地に向かった人たちが沢山いたのでした。
それには目的があって、様々な欲望を叶えるための行為であったとも言えますし、これも生物の生き方からすれば余計な無駄な部分であると言えますが、少なくとも移動に目的と意味がありました。
無理をしてでも海に乗り出して危険な未知の土地を歩く必要がありました。
とにかく渡った、歩いたというだけで満足するなんて考えられなかったでしょう。
例えば堀江謙一さんの単独太平洋横断は大変な偉業でした。
私も本を読んで感銘を受けたひとりですが、それでも太平洋を横断する間に何かの自然観測が出来たのではないか?と思ってしまいました。 人体とヨットという人工物の実験にはなったわけですが、それだけでは「もったいない」という印象を受けたのでした。
私は貧乏性なのでしょう、ただ移動したのでは勿体ないと感じてしまうのです。

話を戻しますが、もっと遡ってエスキモーやアリュートといった人々も単に気持ちが良いからカヤックを漕いだり、犬橇を走らせるという事は多分無かったでしょう。
お腹がいっぱいになれれば、それで心は充足していたはずで、それだけで最高に幸せでしょう!
現代の生活はお腹がいっぱいは当たり前で、それで退屈で「カヤックでも漕ぐか」という事になっているわけです。
北極圏の真のカヤッカーには「家族がお腹がいっぱいで幸せになるためにカヤックで命を懸けて海に乗り出して、獲物を捕って帰るんだ!」という、とても基本的でとても大切な目的が必ずあったわけです。
つまり野生の生物に近い生き方、移動目的だったでしょう。
野生の生き物は毎日食べ物が見つかればそれ以上のことを求めたりしません。
もちろん、それが充足したうえで「遊び」を行う余裕のある生物もありますが。


写真:漁港で寛ぐハシボソガラスたち。

私が以前から思っているのは「リンネとその使徒たち」に出てきた人々のような目的をアウトドアスポーツを行っている人たちも、その活動に加えても良いのではないかということです。
それぞれのアクティビティが行われている環境は普通の人がアクセスし難い独特で厳しい環境です。
そこでしか観察することのできない生き物の生態を記録するという事は特殊な移動能力が欠かせません。
先に書いたように海の上で虫を探せるのはシーカヤッカーしかいないと言っても良いと思いますし、厳しい岩壁を移動できるのはロッククライマーですし、船舶には危険で遊泳も難しいサーフゾーンを自由に動けるサーファーもそうです。
それらの遊びの中に目的を加えると、それは活動になると思います。
海岸でゴミ拾いも大切だと思いますが、生き物の実態を少しでも詳しく知るという事が環境保全に何よりも必要な基本情報です。
ただ「それは専門家が調べることで、自分ができることではない」と思っている人が多いのだと思います。
それが自分の心を満たすアクティビティを行うための環境を知り、そこに暮らす生き物の知識を増やす活動にもなると考えるべきでしょう。
パタゴニア創業者のイヴォン・シュイナードさんが「ビジネスマンにアウトドアを教えるよりもアトトドアズマンにビジネスを教える方が楽だ」※というような事を言っていたと思いますが、それに似ていると思います。
もしくは役割分担という事でも良いでしょう。

また、そういう情報を一般から受け入れて、役に立つ情報の形にすることを研究者や企業が手助けし、それが現場に還元されるようになれば、それは「活動」になって、「遊び」だと思っていたその行為に飽きることも無くなるでしょうし研究者は業績を残すことができ、企業は環境保全活動への貢献に関わった事になります。
そして、生きるためにカヤックを漕いでいた人々にとってのハンティングのように、その「遊び」はそこに関わるみんなが幸せになるための大きな「目的」となるでしょう。
それぞれのアクティビティ毎にそれぞれの人がそれぞれの対象を見つけることが大切だと思います。
みんなが同じものを見つめるのも良いですが、それでは目立たない存在感の低いものや、見栄えのしないものなどが差別的に取り残されてしまうでしょう。
全ての存在が自分の使う環境を保つひとつひとつの脚だということを知ることが必要です。
その脚を支えるために個人が「遊び」ながら「活動」していけば、その「遊び」を土地の人々も必要なものと理解してくれるでしょう。
そこまでにかなりの時間が必要だと思いますが、30年もあれば随分良いところまで行けると思います。
それでやっと30年前に戻るのかもしれないですけれど。


写真:伊豆大島に夕日が落ちました。

※イヴォン・シュイナードさんの言葉が合っていたか確認しようとして検索したところ、九里徳泰さんの記事が出てきて、ちょうど良い話が書いてありました!
ちなみにイヴォンさんの言葉は概ね合っていましたので、そのまま。

リンネとその使途たち 探検博物学の夜明け」西村三郎 著

かもめのジョナサン」リチャード・バック 著


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